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角打ちの始まりはどこ? 角打ちの発祥 について
角打ちの発祥 については 諸説ありますが、私が調べる限りは 「 北九州 」が始まりではないかと考えます。
私なりに Google先生や、いろんな書籍や サイトを参考にまとめてみました。
角打ちの由来
お酒を立ち飲みする場所を『角打ち』とぜんぜんお酒とは関係ない名前で呼ぶのは不思議ではないでしょうか。
「 角打ち 」( かくうち )由来はなにか。少し調べてみました。
その語源には諸説ありますが、「 角打ち 」という言葉は元々・・
「 酒を升に入れたまま飲むこと 」
という意味で使われていた言葉です。
昔の酒の売り方は量り売りが基本でした。
升に酒を注いで量を計っていたんですね。そして、何時のころからか、升に入れその場で酒が飲めるように酒屋さんは提供を始めました。
当時の呑み助が、家に帰るまでに一杯ひっかけたいとか酒屋にお願いしたんでしょう。
その時に、升の角からお酒を飲んだことが、「角打ち」の由来になっているそうです
それがいつしか お酒を販売する「 酒屋で酒を立ち呑みする 」という意味で使われるようになったようです。
最近では 立ち飲み場所を 「角打ち」と呼ぶ事が多くなりまいしたが、気軽に寄れて、安く飲める場所 と言うイメージが 角打ちと思って良いのではないかと思います。
角打ち誕生について考えてみた
北九州は工業と炭鉱、港湾設備により発展したという歴史があり、全国から多くの労働者が集まっていました。
その大もととなる 八幡製鉄所 である。
製鉄所で 三交代で働く人達にとっては お酒が飲める場所は一種の オアシス だったのかもしれない。
その労働者達が 酒屋で買った酒を 軒下で飲む文化から始まり、酒屋側もテーブルなどをもちいてお酒を飲める場を提供し始めたことが特徴です。
中には ビールケースの空き箱などを利用することもあります。
酒屋は飲食店の免許がないことから、つまみはないが 乾物や缶詰などを購入するスタイルで、ワンコイン で呑めるお酒 が主流になっていき、屋台も安くお酒や食べ物を提供していたため、仕事で疲れた労働者が一息を着ける場所として定着していったのではないかと思います。
角打ちで一杯呑んだ後 スナックに向かう人達も居たようで、割とツケで呑んでいる方も多く居たとか・・・
毎月給料日になると 会社の門の前で スナックのママ が待っていて、そこで ツケを回収 という姿も見られていたようです。
(´∀`*))ァ’`,、
ある意味、月末の風物詩だったのかも・・
角打ちが全国に知られる様になったきっかけ
私が考えるに全国的に「 角打ち 」と言う言葉が有名になったきっかけは、昭和44年、45年 に起こった 「 民族大移動 」が原因ではないかと考える。
民族大移動とは?
昭和44年、45年頃、 八幡製鉄( のちの 新日本製鐵 → 新日鐵住金 )が 千葉県君津市 に大規模な新工場を完成させた。
これにより、多くの労働者が必要になった。
その当時の作業員や、家族、周辺のお店の人たち等、2万人もの北九州人が君津市に移動。
これが 日本史上にも残る「 民族大移動 」ということです。
2万人の移動はすごいですよね・・・ 市一つ無くなっちゃうくらいの勢いです。
新日鉄住金の人に聞くと、
「 北九州にあった周辺のお店ごと移動して 君津に住んでいるとき、ここは北九州か? 」
と思うほどだったようです。
移動した場所に関しても集中していたでしょうから、人口密度としてもグン と上がったのではないかと思います。
言葉も、食文化も 北九州の文化がまるまる移動したものですから、一時期は 千葉県君津市 は北九州の文化に染まったそうです。( 現在は大分薄まったものの、君津には北九州文化が若干残っているそうです。 )
朝日新聞 1970年2月23日号によると、君津町立大和田小学校の場合、在校生 1135人 のうち、北九州から転校した児童は およそ 800人 。また、八重原小学校は1974年に1432人となり、県下一のマンモス校になった。
と言う記事もあったそうです。
この民族大移動がきっかけとなり、地方の人が、仕事を求め北九州へ行き、そこから 関東へ。そして 地方に帰った人たちが 角打ち文化を広めていったのではないだろうかと 私は考えます。
北九州の角打ちも激減、後継者がいないのと、大手リカーショップ がどんどん出来ていったため、やっていけなくなったのでしょう。
角打ちを多くの人に知ってもらい、角打ちの常連となる人を増やすためにも このページで少しでも広がればなと思っています。